ムーンライズ・キングダム』おっきな音楽を鳴らすには

2月14日、木曜日、二条にて。ウェス・アンダーソン監督の最新作ということで、とても楽しみでした。世界からつまはじきにされていると感じる少年と少女が駆け落ちし、まわりの大人や子供を巻き込んでの騒動が起きる。そして、彼らの暮らす島には嵐が近づいていた。

その名を知らしめた『天才マックスの世界』から、前作にあたるストップモーション・アニメファンタスティック Mr.FOX』まで、ウェス・アンダーソンは一貫して、いつしか歯車がくるってしまった家族がなんとか再び走り出さんとする物語を撮ってきました。今作も例にもれず、男の子は里親に捨てられ、女の子の母親は街の警官と不倫をしており、彼女はそれを目撃してしまいます。彼ら2人は12歳という微妙な年齢ゆえに、家族のなかでキリキリと音を立てつつある軋みを、誰よりも敏感に察知しますが、その痛みをおそらく言語化することはできません。もしかしたら、それは言葉にすることでより深く自身に牙が刺さってしまうことへの怖れを無意識にわかっているからかもしれません。傷つきを必死でおさえこもうとする2人が、学芸会の楽屋で初めて出会い、戸惑いと確信の両方が眼差しに湧き上がるシーンはすさまじい眩さでした。

彼らの駆け落ちから問題が明るみに出され、大人たちは自らを省みるとともに、少年と少女の胸の奥で鳴る悲鳴へと耳を傾け始めるのですが、アンダーソン組初となるブルース・ウィリスが特によかったです。ごぞんじ『ダイ・ハード』シリーズのマクレーンに代表されるように、日頃はむせるような男の匂いがする俳優ですが、今作では不器用でちょっとだらしない警官役を的確なサイズ感で演じていました。予告編で見たときは、ちょっとミスキャスト?という不安もあったのですが、ウェス・アンダーソンならではの可愛らしい世界像に、すっぽりはまっていました。良い俳優なんですねー。彼と主人公の少年がお酒を飲み交わす場面は、もっともぐっときたところでした。

オーケストラにおける各々の楽器の役割を解説するレコードが、映画におけるテーマを示唆する役割を担わされています。それは、これまで監督が得意とし今作もその手法がとられている群像劇が象徴しているように、無駄な楽器=登場人物は一人もいないというメッセージでしょう。一つ一つの楽器が重なり合うことでしか、大きな交響楽は鳴らせない。そして、そのためには隣で弾かれる音色にしっかりと耳をそばだてなければならない。映画ではいくつかの場面において、他者の言葉が触媒となり、人物の言動が決定づけられています。

ウェス・アンダーソン特有のうなるほどに洒脱な色どりで配置された映像美は、ストップ・モーションによるおとぎ話『ファンタスティック Mr.FOX』を通過し、今作でいよいよ究極点まで達したような印象を受けました。オープニングの少女の家をカメラが横断していくシークエンスなど、もはや嘆息するほかない。一方で、あまりに隅々まで計算しつくされた画面設計にはどこか箱庭的な窮屈さを感じるところもあり、『天才マックスの世界』くらいの現実の臭みと監督の美的センスが拮抗した映画もいつか再び撮ってくれないものかねーと思ったりもしたのでした。