『パラノーマン ブライス・ホローの謎』  「良いゾンビも悪いゾンビもどちらも殺せ」と、あなたは掲げた

3月30日、土曜日、二条にて。ストップ・モーションで撮られたアニメーション映画。幽霊の見える少年ノーマンは、家庭では疎まれ学校では変人扱いされ、趣味はゾンビ映画を見ることという孤独な子ども生活を送っていた。彼の暮らすブライス・ホローの街は、魔女狩りの伝説があり、今年はその300周年。世捨て人の叔父は、ノーマンに魔女の呪いを封印するためのある使命を託す。が、タイムリミットである命日は刻一刻と近づいていて・・・。

どうして、魔女狩りのような事態が繰り返し起きてしまうのか?この映画はその構図を、もはや絶望的とも言えるわかりやすさであぶり出します。ゾンビとなり蘇った300年前に魔女を裁いたものたち。彼らがブライス・ホローの街に到着するなり、人々は刃物を手にとり火を掲げ、口々に叫びます「やっちまえ!」。かつて彼らが魔女におこなったのと同じように。恐怖や不安のあまり、日頃は知性を持った大人たちが考えることをやめてしまい、集団ヒステリーにかかったように暴力をふるうのです。この国でも今同じようなことが起きてますよね。過去に魔女を狩ったものたちが、次はゾンビとなり人々に刈られようとする。憎しみの矛先は誰にでも向かう可能性があることを、映画はきっぱりと示します。

では、集団が犯さんとする過ちに対して、一人の人間は何ができるのでしょう。それでもなお今作は、他人を助けようとする心、優しさを受けた時の嬉しかった気持ちという、関係性のなかから生まれる愛に、抑止を託そうとしています。劇中で印象を残す2つの「ほっといてくれ」。その言葉を誰が言い、誰かはどう返したか、その結果どうなったのか。作り手は、そこに恐怖の暴走を止める可能性を見出しているのではないでしょうか。そして、今作はさらに一歩踏み込んだところまで思索を進めます。それは、一度迫害する立場になってしまったもののなかにさえ、他者を想像し思いやる心があるということまで、映画は描いているところです。魔女裁判で断罪した人々も、僕やあなたのような普通の良き人間であったのだと。もちろん、それによってさらに恐ろしさは増します。裏を返せばどんな人間も魔女を狩る立場に立ってしまうかもしれないということですから。

一方で今作がなにより素晴らしいのは、極めて明解にテーマを打ち出しながら、作中は映画的興奮に満ち溢れていることです。ストップ・モーションで独特の実在感を与えられたキャラクターに、何度笑わせられ、彼らの躍動に何度胸の鼓動が速まったことか。特に終盤ノーマンが魔女と対峙する場面は、手に汗握る興奮と止めどなく溢れ出てくる涙が同時進行という稀有な体験で、ちょっと自分がとんでもないことになっていました。わずか90分に笑いとスリルが満ちている、それだけで最高なんですが、おまけに今の日本のある局面について写し鏡になっている。映画が喚起する芸術的感動と、映画の持つ社会への眼差しに対する共感、その双方がタペストリーのように織り連なっていることに、嗚咽をもらすほど心動かされてしまいました。