『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日 』語れ、そして治癒されよ

2月3日、日曜日、箕面にて。初のIMAX3D鑑賞でした。視線でとらえきれない大画面で、果てしない奥行きとのぞけるほどの飛び出しを堪能しました。すごかったです。京都にもIMAXできたらいいのにな。

海難事故により太平洋をベンガルトラと漂流することになった少年パイの227日を描く。映画の構成としては、中年になったパイが小説家へと、その数奇な遭難を物語るものとなっているので、鑑賞者にとっては少なくともパイが旅の果てに死去するのではという心配はさほどないだろう。そのぶん、水も食糧もない浮舟でいかにトラと生をともにするかというシチュエーションのおもしろさや、トラに喰われず共存するために主人公がトライする試行錯誤の数々で、作品に引きずりこんでいきます。もちろん、3D映像によってダイナミックさを増した、途方もない孤独感を反映させた心象描写、魔法のような海の風景は鑑賞者に大きなエモーションを喚起させるでしょう。「とても現実とは思えない!」そんなシーンが度々映し出されるのです。

そこで脳裏に浮かぶのは、果たしてパイとは信頼たりえる語り部であるのかという問いです。遭難直後に舟に辿り着いた数匹の動物とその顛末。そしてミーアキャットのみが暮らす島。どうにも寓話的な幾つかのエピソードは、本当に主人公に起きたできごとなのでしょうか。そもそもパイはなぜに小説家に物語るのでしょう。

振り返ってみれば、僕たちが過去を語るとき、どれだけの本当のことを話しているのか、自分でも甚だわからなかったりします。それはどうしてなのだろう。単に記憶が薄くなっているから?もちろん、それもあるでしょう。けれども、それが嘘かまことか意識せずともただ語ることで自分を助けるという側面もあるのではないか。物語るという行為について、その意味を考えさせてくれる映画でした。そして、おそらく我々はそれをせざるをえないのだ。