感想『ドラゴン・タトゥーの女』

TOHOシネマズ二条にて。初日の最終回で観ましたが、一番大きなスクリーンで嬉しかったです。お客さんもかなり混み合ってました。劇場全体から今ホットな現象に加担しているという盛り上がりを感じましたね。ちなみに、原作は未読。スウェーデン版の映画も未見でした。

物語は3部構成で進みます。第一部は、やり手のジャーナリスト、ミカエルが、ある財閥家族に40年前に起きた殺人事件の真相を探求を依頼されるまでの経緯と、リスベットという凄腕の女性ハッカーがその調査に関わるまでの過程が同時進行で描かれます。そして、第二部は、二人による事件の謎解き。最後の第三部は、事件が解明されたあとの、彼らの辿りがそれぞれ描かれます。映画本編が158分と、そもそも長尺の作品で、それぞれの部の時間比率も、あくまで自分の体感時間なんですが、3:5:2程度と、謎解き以外の章にも少なくない時間が振り当てられていました。

物語のメインとなる謎解きはおもしろかったです。拡大したり、偶然写っていた車体番号から情報を補完する手がかりが見つかったりと、幾つもの写真から真相が浮かび上がっていく過程はひき込まれました。真相自体は、予想だにできぬ驚愕の!ってわけではないんですが、一つ一つ発見を重ねていくのと、ミカエルとリスベットが親密になっていく、このチャプターは、自分だけでなく、劇場全体がが高揚していくのを肌で感じました。

実際のところ、上映中は、その前後の章には、やや時間を割きすぎているようにも思ったんですよね。特にミカエルがほぼ退場してしまう第三章は、とりあえず根幹となる事件は解決しまっていることもあって、若干蛇足かなーと鑑賞中は見ていました。物語の結末までは。

そう、映画の最後で、その印象が完全に覆されました。自分が不要なのではと思ってたところが、実はむしろこの作品の一番の肝でした。今作は、リスベットという女性の闘争の物語であり、彼女の淡い恋心を掬いとったラブ・ストーリーだったんです。第一章における、彼女が男性的なるものへ、いかに憎悪と嫌悪感を抱いているかを表すためのハードな描写、第三章での、事件解明後の彼女の暗躍、いずれもがあってこそ、あまりに切ない幕切れのその瞬間、鑑賞者はリスベットへと愛おしさで堪らなくなってしまうんだと思います。それでもなお、強く生きんとする彼女の面持ちは、あまりに魅力的でした。

また、デヴィッド・フィンチャー監督は、これまで『ファイト・クラブ』や『ソーシャル・ネットワーク』などで、構造化された暴力性への反抗を描いてきたと思うんですが、今作ではそれが、マチズモへの非難として作品の通低音となっており、過去作との近似を感じるとともに、さらに一歩踏み込んだ印象も受けました。