感想『ミラノ、愛に生きる』

京都シネマにて。僕が観に行った日は日曜日だったせいか朝一の回でも満員。女性の方が多かったですね。年齢層は比較的高かったです。

物語の主軸となるのは、イタリア・ミラノに大邸宅を構える起業家一族。長男の奥さんとしてロシアから嫁ぎ、すでに成人となっているの3人の子供を産んだ婦人、エンマを主人公に物語は進みます。家族の長である社長の死を発端とした、いやおうのない会社の変化を背景に、エンマが息子の友人に惹かれ、その愛に溺れてゆく様が描かれる。

と、あらすじだけ抜け出すとメロドラマみたいなんですが、画面の絵作りや演出がすごく端正で、かなり現代的なスマートさを持った映画でした。舞台を移す度に、画面いっぱいにその地名が写し出されるんですが、そのフォントとか超かっこいいんだ。

父親から新社長に任命された、エンマの夫は同じく重役となった息子から反対されつつも、会社の他国の企業(アラビア系?)からの被買収を決定。貞淑な妻であったエンマは、イタリアに嫁いてからずっと封じ込めていた、ありのままの自分が、新たな恋により解放されていく。二つの側面から、旧来のあり片が、流れゆく時代に直面し、それぞれ意識的ないし無意識的に変化せざるをえなくなってくる様が描かれているんですが、時代における立場が、登場人物のなかでさえ、極めて多極的であることが印象的でした。ある人物はある局面においては、従来の仕組みの象徴であるが、違う局面では、新しい時代の思考を持っている。

たとえば、エンマの夫は一族の家父長という意味では、古き時代のあり方の番人なんですが、企業においてはこれまでのシステムを捨て新しい時代へと進めんとする先鋒である。また、その息子は会社内では前社長である祖父のやり方を堅持しようと、被買収に頑なに反対するが、彼の妻のお腹のなかにいる子供は未来を象徴している。

そして、この映画はいずれの登場人物へも否定や拒絶の視線を投げかけないんですよね。不倫する二人にはもちろん、その夫や家族、それ以外の人物にも善悪での評価は一切されない。あの買収する会社の社長とかいくらでも嫌な奴として描けそうなのに!

その対象との平静な位置関係の保持が、時代錯誤とも思われかねないメロドラマを、現代的にアップデートしていたように思います。そして、そうした距離感は一歩間違えると、登場人物の人間味を損なう結果になるおそれもあると思いますが、今作はむしろそのすみずみへと等しく愛が行き渡っているように感じ、その柔らかな帳のなかで活き活きと動いているようでした。その様はとても心地よかったです。